田所郁子の娘、田所恵子だったら、また違った人生だったんだろうなと

22歳頃の母・郁子

この人に似て、肌のきめが細かく、色が白いのです。残念ながら、男子に生まれついたことで、そのメリットが活かせないままです。お母さんは超キレイだったです。親戚誰しもが言いました。関西弁で「それはお前、もうそれはすごいキレイやったで!」ってね。伝説か何かのように、口をそろえて言うのです。

眉毛もナチュラルでそのまんま形が良く、富士額(びたい)だったので、おでこを出してもズルムケになる心配がないのです。それは親子で似ています。なぜわたくしが女子ではないのか、今でも恨んでいます。いっそ女の子にしてくれ! と、幼心に何度叫んだことか。

なんか、あんまり小説やラノベに関係ないことをつらつら書きましたが、エブリスタでは、続ける気力がないというのと、お話が浮かんで来ないということと、リアルで生活の心配をしなきゃなんないということで、空想に思いを馳せている暇がないというわけです。

あーあ、わたくしも田所恵子だったらよかった。田所とみ→田所郁子→田所恵子という女の女系一家の系譜が継げる上に、千葉工業高校じゃなくて、千葉女子高校(稲毛)の家政科に通っていたでしょうね。そしてそこから専門学校。田中千代ファッションカレッジ(渋谷)でテキスタイルデザイナーか何かになっていたでしょう。服を作る仕事は、母もやりたかった仕事です。後年彼女は……

「女の股は幅5センチで隠せる!」「わたしは脱脂綿を詰めて頑張った!」……などと、晩年わけのわからないことを自慢していましたが(笑)まあ、愉快なお母さんです。そんじょそこいらにいないね。こんなゴージャスな人。あくまで自由に過ごして来た人です。ある意味幸せな人です。

阪神大空襲にも遭わず、室戸台風やジェーン台風などの高潮被害にも遭わず、黙々と県立大津高等学校(旧:滋賀県立大津高等女学校)を出て、百貨店勤務をして(京都藤井大丸・心斎橋大丸・神戸大丸など)化粧品売り場の顔として、PX(進駐軍売店)として接収されていた、心斎橋そごうで、900円の給与で、90円のパンストを買って頑張ってきた人です。当時のパンストは舶来品です。

そんなこんなで、おカネが整い次第、大阪府八尾市の老人ホームまで、お母さんを訪ねに行く予定をしています。引っ越しが落ち着いて、町内会にもなじんで、病院も一巡したあたり。来春ぐらいの訪問を予定ています。八尾市も北部の山奥らしくって、八尾市ってとっても広くて大きいんです。地べたが。八尾市のどこかは申し上げませんが、兵庫県尼崎市に籍があり、介護保険の「居住地特例」を使って大阪府八尾市に住んでいる母なので、万が一亡くなった瞬間に尼崎市に戻り、その瞬間に戸籍から消えるのでしょう。わたくしが戸籍の筆頭者になるのでしょう。

おカネを、わたくしの腕をつねってまで要求した母とは違い、わたくしは、あるカネで辛抱する、伯母の方を見習いたいと思っています。足らぬ足らぬは工夫が足らぬ。やりくりしまっせ。やり繰り上手になりますよ。

田所稲造 拝

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